因果の花/ 言葉の花束
最近、よく身の回りで見聞きするのが、「世阿弥」について。
2~3日、集中して、情報が集まったり、人から聞く機会が増えたりしていたのです。
これは、きっと、何かあるのかな~と思っていたら、こんな言葉に出会いました。
『まことの花』は心によって咲くのであって、その『花』を咲かせるのは、『心』一つの工夫にある。心を磨く努力という『因』があり、まことの花(芸では上達)という『果』が得られる。
世阿弥の著作「風姿花伝」の中にある言葉です。
これは、元々、世阿弥が「芸」について書いたものですが、とても奥が深く、人生に置き換えて読んでみても、納得できることが多いのです。
中でも、この「因果の花」は、言葉の響きも綺麗で、とても気に入りました。
初心を忘れず、道に励み努力する「因」によって、道を極め、結果を出す「果」が得られるので、その因果を信じて、一所懸命に進み、悟ることが「極意」であり、それが「因果の花」であるとされています。
でも、その努力とは別に、「時=タイミング」という波(運)があるとも言っています。
例えば、果樹や植物(花)なども、盛りの年もあれば、翌年は花や実の収穫が少ないときもあります。
人間の運や芸能の人気も、同じような波があり、人のはかり知れない「因果の理」というものが存在し、運が上昇したり、下降したりします。
でも、これをきちんと考えに入れ、下降運の時は力を溜めて、上昇運になったときに、その力が出せるようにすることで、おのずと開運への道が開けると書かれています。
私自身、最近ちょっと気分が下降気味でしたが、敬愛するウェイン・W・ダイアー博士の本を読み直したり、視点を変えたり、生活の中に自分を取り戻す時間を作ったりすることで、ちょっと良いことが続いたりするようになってきました。
これが、「心の工夫」で、ちょっと良いことが「果」として表われたのだと、この言葉に重ねて感じたのです。
運気のパワーが少なくなっている時期は、努力をしても、結果として表われることは少ないかもしれませんが、パワーが上昇するときには、それが、きっと追い風や底力としてエネルギー源になってくれます。
その時に咲く、あなただけの綺麗な花を楽しみに進んで行きましょうね☆
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